決断力がグラグラなあなたへ
自分の感情や感覚は自分のものなのに、目の前に現れた出来事をどうしたらいいか考えると、どうも揺らいでしまいがち・・・。
決断力がグラグラなあなたへ
正しい恋愛の悩み方:愛のトリセツ、自分で選んだり決めたりすることにためらいがちなあなたへのメッセージです。
今日は、以前私のメルマガで発信した内容をもとにお伝えしていきたいと思います。
特に、生きていると大切なこと。
それは「自分で決めること」や「自分で選ぶこと」。
これが出来ずにいると、どんなことが起きるのでしょう。
そして、どんなことに悩んでしまうのでしょう。
そんなことをお伝えしていきたいと思います。
ということで、今日も3つに分けてお伝えする愛のトリセツ、はじめます。
自分で選ぶことの感覚は
何か自分で選んだり決めたりする時って、ある種、普段とは違った感覚を持ちませんか?
例えば・・・
- ドキドキ
- ワクワク
- ソワソワ
- モヤモヤ
のような。
前のふたつは何となくこれから良いことが起こりそうな予感があって、後のふたつは何となくこれから良くないことが起こりそうな気がしたりして。
そうそう。
自分で選ぶとか自分で決めることって、ちょっと勇気が要るような感じがします。
何故かと言うと、これって「責任」が伴うからなのでしょう。
「自分の責任」を重く感じる人にとっては、なんとなく自分で選ぶことや決断することが、ものすごく大変なことのように感じてしまうのかもしれません。
それでも。
人はいつもどんなことも選択しています。
生まれてからずっと選択の連続で、それは死ぬまで続くことでしょう。
- テレビ、何を観ようかな
- お昼は何食べようかな
- 次はどの本を読もうかな
- 今日はどっちの仕事から片付けようかな
- 今夜の夕飯は何にしよう
- 明日何着て行こう
- 誘われた飲み会の出欠どうしよう
などなど。
こういう時、すんなり決めることが出来ず、あれこれ悩む人は「自分がどう感じるか」よりも「誰かがどう思うか」ということに重きを置いているのかもしれません。
そして、「自分で選ぶことや決めることに自信がない」と仰るご相談者さまの殆どが、こういう状態だったりするのです。
人の言いなりのメリット
「自分で選ぶことや決めることに自信がない」人の心の中の声。
いろんな声が聴こえてきますが、そのなかでも特に多いのがこのふたつです。
- 自分の感覚よりも「人からどう思われるか」ということ
- 「自分が選ぶとロクなことがない」という思い込み
このふたつに振り回されている方たちがとても多いのです。あなたはいかがでしょうか。
「これ食べたい!」と自然に選べたり
「コレ着てこ!」とすんなり決められたり
「ここ行きたい!」とワクワクしたり
「あ、それ行かない」と躊躇なく断れたり。
自分以外の誰かがどう思うか?というよりも、自分自身がどう感じるか?に正直になれるかどうか。
生きていくうえで、とても大切なことだと思うのです。
でも、これをせずに「人の言いなりになる」という人には、あるメリットが存在しています。
それは、「もし仮に失敗しても、自分のせいじゃない」と他人に責任転嫁できるということ。
そして、自分で考えなくて済むからラクチンということ。
ただ、これをしていると、人生において弊害というものがちょくちょく起こることがあります。
恋愛や結婚に限らずなのですが、自分で選ぶことが苦手だったり、決めることが不安という人って共通していることがあります。
- 決めることはできるんだけど、何となく自信がない
- 選んだとしても、どうも不安がつきまとう
- 自分で選ぶと、どこか自分を疑っている感じがする
という人も似たようなものです。
先に答えを言ってしまうと、こういう人たちはある経験や体験があまりないまま成長してきてしまったのです。
選ぶ経験、間違う経験
「ある経験や体験があまりないまま成長してきたこと」とは、それはまさに、自分で選ぶという経験や、自分で決めるという体験そのものです。
また、自分で選んだり決めたりしていたものの、そういった想いが許されなかったり、制限されたり、否定されたりしたことで、自分の中で苦い経験として残っている・・・ということもあります。
それが、やがてオトナになって、恋愛や結婚に限らず、人と関わることが多くなってくると、時々困ったことが起こってくるのです。
それは・・・
自分で選べない、決められないことで、いつもどこか自分が置き去り
ということです。
それはどんなふうにあらわれるかというと、例えばこういった感じです。
- パートナーの言いなりになる
- 友だちの意見に流される
- 周りの考えが気になって自分の考えが言えない
これらは、自分の考えや意見や想いを、自分の外に出すことなく、自分の内側に封じ込めているということです。
これが慢性的に、大切な自分の決定権を人に委ねてしまうということになっているのです。
ただ、少し深刻なのは、当人の意識は少し違っていて「言いなりになっている」という認識ではなかったりすること。
もしかすると「彼の意見を尊重する」とか「自分の意見は控えめにする」などの、奥ゆかしさと捉えているかもしれません。
恋愛や結婚で言えば、自分が好きになった人なのにどこか自分の感性を信じることができません。
また、第三者の意見を尊重して、他人の判断で目の前の人と付き合うかどうか決めたりします。
これは「自分の感覚は信用できない」だから「人の感覚に頼りたい」ということでもあります。
この世のすべて、見ているものも感じているものも、ひとつ残らず自分の感性で、唯一無二の感覚なのに。
その一番大切な部分を他人に委ねてしまうということは、恋愛から結婚に進んでいくうえでも、シゴトにおいても、友人周りの人間関係においても、とても危うい想いです。
こういった状況に陥ってしまうきっかけはいろいろあります。
が、小さい頃のことであることが多く
親や兄弟姉妹のために、または家の状況から「我慢することが当たり前」に我慢させられていたり。
こういうことが続くと、慢性化していて「我慢させられた」という意識すらないかもしれません。当たり前のこと過ぎて。
- 「行きたい場所を我慢する」
- 「食べたいものを我慢する」
- 「遊びたい友だちを我慢する」
- 「時間のことを我慢する」
- 「欲しいものを我慢する」
- 「進みたい進路を我慢する」
- 「就きたい仕事を我慢する」
- 「好きな人を我慢する」
オトナになってからも修行僧のように我慢だらけです。
そんな生活が続けば、その人にとって我慢は当たり前になっていくし、選べないのも決められないのも不思議ではないでしょう。
いつも人のことを優先して自分のことは後回し。
人にお願いごとをするくらいなら自分が背負っちゃった方がマシ。
自分で働いたお金は、家族のものなら躊躇なく買えるのに、自分のためのものは買えなかったり。
自分が何かを求めることや欲しがることには罪悪感を持っているので、自分の欲求はいつも圧迫されて、心の奥に押し込められているのです。
その結果、やりたいこともわからなくなって、いつもずっと心が満たされないのです。
私もそうでしたが「お姉ちゃんなんだから」と我慢させられたりしたことありませんか?
または、我慢していると親が褒めてくれたり、「我慢することは良いこと」「何でも欲しがることは良くないこと」など、言い聞かせるようなそんなしつけをされていたり。
そうすると
「欲しがる自分はいやらしい」「欲しいものなんか言ってはいけない」と、そんなふうに思いながら、その反面「何でも欲しい・いつも欲しい」という欲求を持て余していたりします。
このような悩みは、オトナになってからというより、やっぱりきっかけがあります。
そして、解決するためには、真実を知ること、体験することです。
その結果
- 「好きなものを選んでいい」
- 「自分で全部決めていい」
- 「素直に欲しいものは欲しくていい」
- 「自分の人生は自分で切り拓いていい」
と心の底から腑落ちすることが大切です。
頭の中でどんなに「好きなものを選んでいい」「欲しいものは欲しいと言ってもいい」「全部自分が決めていい」と唱えてみても、虚しくなるばかり。
行動しようとすると、自動的にストッパーがかかってしまい、人目が気になって、周りの動向が足かせになったり、変化が恐くて進めない…なんてことが起こります。
こういう状況は、その思い込みが生まれたきっかけがオトナになってからではないものです。
いつも、欲しいものを欲しいと言えず、自分で選びたいのに選ぶことが怖くて選べず、決めることもできずに怯えて立ち止まっている。
これではただツラく、苦しいだけです。
- 「欲しいものを欲しいと言える」
- 「自分で選ぶ」
- 「自分で決める」
という心の決心は、一度きりの人生を生きていくうえで必要不可欠なことです。
これを改善していくためには、そうなってしまったきっかけを知り、小さな子どもの自分の心を癒すこと。
ひとりでは閉じてしまって触れることのできない本音や本心を、安心に包まれた時間の中で解していくことで取り戻していけます。
stand.fm音声配信|決断力がグラグラなあなたへ
stand fmにてラジオパーソナリティとして、音声でも配信しています
では改めて、今日のメッセージ
決断力がグラグラなあなたへ
自分で選べない決められない、というあなたは一度お話をお聞かせくださいね。もしかすると心の中に不要に握りしめた思い込みが潜んでいるのかもしれません。