母から逃げるために結婚を選んだんです
ひとり暮らししたい!門限を気にせず遊びたい!自由に彼を家に呼びたい!なんて、贅沢な夢なんでしょうか。いえいえ、そんなことはありません。だ・け・ど。それを絶対に許さない存在があったりするのも事実。私のクライアントさんにもいらっしゃいます。
もくじ
母から逃げるために結婚を選んだんです
正しい恋愛の悩み方:愛のトリセツ、私の自由は結婚しなければ得られないの?となっているあなたへメッセージです。
本当の本当はそんなに早く結婚したいわけじゃない。
でも、このまま実家暮らしをしていたら、私はいつまで経っても自由になれない。
と、カゴの鳥のような想いで親と暮らしている女性は、「じゃあ、ひとり暮らししたら?」と言われても、親が許してくれない。いい歳して門限があったり、門限がなくても遅くに帰ってくると親が寝ずに待っていたり。彼が出来ても家で寛げないし、早い段階で連れてくれば親が妙な期待を持つ。
実家暮らしって、いいような悪いような、ですよね。私は結婚する前は、ひとり暮らしの経験は重要だと感じます。ただ、それが出来ない人の場合、結婚が逃げ場になってしまうことがあるんです。ということで、本日の愛のトリセツはじめます。
お母さんから結婚に逃げた人の末路
独り暮らしも許してもらえない。
門限が早すぎて友だちとも遊べない。
あれこれ詮索されたり口出しされて自由がない。
いつの時代であっても、親、特に母親の呪縛に囚われてしまう女性っていらっしゃると思います。何を隠そう私自身もそう。
20代、ひとり暮らしをしている友人が羨ましくて「ひとりで住みたい」と親に伝えたところ「いけません」と一蹴されました。「娘はお嫁に行くまで家にいるもの」という考え方の母親が許してくれるはずもない、と半分諦めたうえでの提案だったけれど、みごとに玉砕しました。
成人したオトナのはずが門限を決められ、やろうとすることにもいちいち口を出され、本当に鬱陶しくて仕方がありませんでした。
私が母親から自由になるには、結婚するしか道がない。
そう意識していたわけではないけれど、無意識では確実にそう感じていたのでしょう。
するとどうなるかというと、恋愛が楽しめない女になっていました。
どういうことかというと、恋を楽しむ前に、相手を結婚相手としてみてしまうのです。
これは今となっては本当に損な考え方だったなぁと思わざるを得ません。
思い起こせば中学生の頃から「自由がない」と感じていました。自由がないというのは、自由に考えては駄目だということにも通じます。
進路や就職先だけでなく、部活動やアルバイトまで、親の許可が必要でした。
ううん、違いますね。
親の許可を得ていました。
そう、自分から聞きに行っていた。
あとで否定されるのが面倒臭かったから、聞いた方が早いと「諦めた」のです。
放任主義の親に育てられて不満に思う同級生。
過保護で過干渉の親に育てられて不満に感じている私。
どちらが多かったのでしょうか。
ただ、こういったカウンセリングの仕事を始めてから知ったのは、私のように親の呪縛に縛られて身動きできなくなってしまった人が、思いのほか多かったということです。
親が過保護とか過干渉というのは、親がそう思っていようといまいと、子ども自身が感じるものです。実際、私には妹がいますが、妹が私と同じレベルで母親のことを過保護・過干渉と感じているかというと、そうではありません。
でも、親から逃げるための結婚って、あんまりうまくいかないんですよ。理由は言わずもがなですが、結婚って相手を愛して、必要として夫婦になることだから。親からの逃げ場になんてしたらダメなんです。
本来の意味での「結婚」を取り戻す
母親の過保護・過干渉から逃げるように結婚した人は、のりぴ塾生にも何人かいらっしゃいます。そういう人たちは、結婚後やはりどこかうまいこといきません。
今まで親の保護下で言いたいことも言えず、親の指示で動いて生きてきたのです。
たとえ結婚してひとつ屋根の下でなくなったとしても、いちいちビクビクしてしまうのです。
私のやってることは間違っていないかな
私のやってること、何か言われないかな
これは、親が関係してこないはずの職場でも現れることがあります。
とにかく、自分の意見や考えを周りに伝えることが怖いのです。最初は「恥ずかしい」と勘違いしている場合もありますが、恥ずかしいというより、怖いんですよね。
あなたはお母さんの言うことを聞いておけば間違いないの
その呪縛は思わぬところまで影響を及ぼしています。
だから、お母さんの意見が及ばない場で、自分の意見を言うことって恐怖でしかない。誰かの確認がほしくなってしまうんです。
私の最初の結婚は、そんなこんなだったから、元旦那さんに対して非常にヒステリックだったかもしれません。
最初の頃こそ、母親から縛られている状態から助け出してくれたヒーローくらいに感じていましたが、私の思った通りにならないことだって当然あります。仕事が遅いとか、家事をやらないとか、育児に加わらないなど、不満が増えてくると「わかってくれてるんじゃなかったの?」となる。
わかるはずもないのです。
だって、何が不満か伝えていないんですもの。
でも、母親が何も言わずとも、私に指示を出し、否定し、道すじを示してきていたものだから、そしてその道すじが結果として「私にとってラクチン」なところまで介入されていたから、愛する人とのコミュニケーションが取れない。
コミュニケーションが奪われた状態で成長してきたから、コミュニケーションなんてとらなくてもわかってくれるものだと思い込んでいた。
恐ろしいことです。
結局、最初の結婚は11年で破綻しましたが、あれは自分のコミュニケーションの取り方が大きく影響していたと感じます。お母さんのせい?いいえ、そうは思いません。
だって、結婚する前も結婚してからも、親に反論しないこと・時々は反論することを選んで来たのは私だから。
言いたいことが言わせてもらえなかったと思っていたけど、言いたいことを言わないということを選んだのは紛れもない私だから。
でも、このままじゃイヤだ。
このままじゃ終われない。
そう強く心に決めました。
だから、再婚するときは本気で、本来の結婚を取り戻すって心に決めました。
言いたいことを言うためには、自分が自分のことを認めて受け容れていなければできないことにも気づきました。どこかで、こんな私が考えることなんて・・・という自己否定があったから、自信が根こそぎ失われた状態だったけれど、その自信すら要らなくて、ただ私に必要なのは「行動する」という勇気だけでした。
それが、自分の人生を動かすことになるんだと。自分の人生を動かして切り拓いていけるのは、私のお母さんじゃない。私しかいないんだと。そういうふうにはっきり腑に落ちたのは40代過ぎてからでしたが、そこからは運命の輪は思う通りに回っていきました。
もう逃げなくても大丈夫な私になる
自分のやりたいことがわからない
私、どうしたいのか自分で決められない
もう私なんて何してもダメ
のりぴ塾生にもそんなふうに弱気な状態でいらっしゃる方が何人もいらっしゃいます。そして、よくよくお話をお伺いしていくと、お母さまとの関係性がぐずぐずに崩れてしまい、それがオトナになった今も影響していることが殆どなんです。
小さい頃ののりぴ塾生たちが、どんなに健気で頑張り屋さんだったか、お話をお伺いしていると、こちらまで心がギュッと締め付けられるようです。
でも、本当は何が言いたかったのか。
本当は何がしたかったのか。
本当はどうしてほしかったのか。
ひとつひとつ紐解いていくと見えてくる本当の想いたちは、それぞれののりぴ塾生を裏切ることはありませんでした。
私、本当はこう言いたかったんだ。
本当は私、これがしたかったんだ。
私はお母さんにこうしてほしかったんだ。
これが判明していくとき、大きな癒しが起こります。そして、自由という名の翼が自分の心にも元からあったことに気づきます。
そう、誰もがもともと持っているんですよ。自分が封印しちゃってたの、自由という名の翼をね。自分で飛ぶことを諦めてしまっていたんです。
今はそれぞれののりぴ塾生は、それぞれの大空を自由に飛び回っています。一年前とは違う景色を眺めながら。
私も自由に飛び回っています。もう誰に何を言われても大丈夫な自分になって。
stand.fm音声配信|母から逃げるために結婚を選んだんです
stand fmにてラジオパーソナリティとして、音声でも配信しています
では改めて、今日のメッセージ
母から逃げるために結婚を選んだんです
お母さんの呪縛が重くて自由に飛べずにいるあなた、翼の存在に気づきたいと思ったら一度お話をお聞かせくださいね。