別れた理由を聞く人、聞かない人その1
『 別れた理由を聞く人、聞かない人 』について書いていきますが、今日はその1。40歳の時に離婚して、これを聞いてくる人は意外と多かったのは、離婚しそうにない夫婦に見えていたからなのでしょうね。
誰かに理由を聞かれたことはありませんか
タイトルそのままですが
- 恋人と別れた
- 離婚した
そんなとき、誰かにその理由を聞かれたことはありませんか。
友人だったり
職場の人だったり
近所の人だったり
- 「どうして別れたの?」←なぜ聞く?
- 「仲良さそうだったのに」←どこまで知ってる?
- 「別れると思ってたよー」←ヒドイ
などなど。
上記3つの言葉ですが、これ実際私が言われたことがある言葉ですが、こんな言葉を投げかけられた(投げつけられたとも言える)ことがあるのは、もしかして私だけかな(笑)。でも意外と、他人のさりげない言葉でグサ…っとくることありますよね。
言うのは自由。
受け取るか受け取らないかもまた自由です。
なので、受け取ってガビーンとなるのは、要らぬものを受け取ってしまったってことなんですよね。
ただ、恋人と別れたにしろ、離婚したにしろ、その結果だけが事実で、そこに至るまでのすったもんだは当人同士しかわからないこと。
しかもその理由って本人が
- イヤ
- 苦痛
- ツラい
- もうやっていけない
と感じたからであり、そこに至るまでだって、それはさまざまな理由があるわけです。
「イヤ」という理由ひとつとっても、ニュアンスは人数分
なので、その理由を第三者からみて
- 大したことないじゃん
- え?そんな理由?
- 我慢が足りない
って、いう問題ではありません。
人は自分の感じたままで、つまり主観でモノを言ってしまうのでしょうがないといえばしょうがないんですけど、それを真に受けて悩み再燃する必要は…?
アドバイスしてくれる人の根底には、もちろん優しさもあるんでしょうけど、言われた側が優しさと受け取るかどうかは、またベツモノです。
例えば、別れの理由が
- 相手の浮気
- 相手の暴力
- 相手の借金
だとします。
すると、第三者は「そういうことなら納得!」って言ったりします。
でも、別れの理由が
- 自由になりたい
- 一緒にいたくない
- 価値観が合わない
だとします。
すると第三者は、「なにその理由、我慢が足りないんじゃない?」って言ってきたりします。
別れた側からすれば、どちらも「イヤなものはイヤなのじゃ」「我慢が足りないとか、余計なお世話じゃ」って思うんじゃないかと思うのですが、どうでしょうか。
言葉の裏にある心情は、誰にも読み解けない
- 自由になりたい
- 一緒にいたくない
- 価値観が合わない
その言葉の裏にある心情は、誰にも読み解けないし、本人にしかわからないことなんです。
第三者から、別れの理由を聞かれたり、意見を述べられること、私はとても面倒くさいと思ったものです。
理由はともあれ、事実はこうだ。それだけです。そこに第三者の正も否もありませんよ。
あ、でも、そうじゃない人もいますよ。
恋人と別れたり、離婚したことを、誰かに同意してもらいたいという人もいるでしょう。同意してほしいから、自分の選択が正しいと後押ししてほしいから、誰かに聞いて欲しいという人もいます。
誰かに同意してもらいたいということは、つまり…私は悪くない、または逆に、私が悪かったのということを、他の人に認めてもらいたい気持ちがあるのだと思います。確かに弱ってると、そういう気持ちにもなります。
自分が選んだ道に迷いが出ると、不安
不安だから迷うとも言えるし、迷うから不安だとも言える。
ただ、その不安も迷いも、別れた結果や事実にずっと留まっていると、余計に残ってしまうんです。
相談する相手によっては、あなたが願う言葉を言ってくれるとは限りませんから、より傷つくことになりかねません。
私は悪くなかったにしろ、私が悪かったにしろ、今はもう、新しい道が目の前にあるんです。そこを一歩、また一歩と、自分の足で歩いていくことを選んだ。とても勇気を出して、決断したんです。
人に後押しされなくても、自分で決めることができた。
それだけでもう、歩き出すための力はあるんです。
チカラは誰にも宿っています。あとは勇気を少しだけ。そこに自信は要りません。
その2に続きます。