好きだけど許せないことがあるとき
彼や旦那さんのこと、愛しているからこそ感じてしまう、この「許せない」という感情。それは、ストッキングの小さな引っ掛けのように、気になり始めたらもう止まらなくなってしまい、妄想がどんどん広がってしまうんですよね。
もくじ
好きだけど許せないことがあるとき
正しい恋愛の悩み方:愛のトリセツ、嫉妬や疑いで好きな相手への想いに霧がかかってしまっているあなたへメッセージです。
例えばどういうとき、許せないという気持ちになるのでしょうか。
暴言を吐いたり、暴力をふるったり、私を大事に扱ってくれないとき?
それは当然許せませんよね。
何を言っても、細かく説明しても、私を信じてくれないとき?
それは悲しくなってきますよね。
大事なことを話してくれなかったとき?
肝心なことを教えてくれなかったとき?
うんうん、それは夫婦なのになんだか自分だけカヤの外に置かれたような気持ちになりますよね。でも、彼にとっての「大事なこと」とあなたにとっての「大事なこと」ってちょっと違っていたりもします。
例えば、「ちょっとした知り合いの女性」とのLINEのやり取り。
これ、あなたにとっては「大事なこと」だけれど、彼にしてみれば「大した事ではない」っていうこともあります。
こんなふうに、女ごころを微妙に刺激してくるような匂いを察知するとき、ザワザワ感を伴って「許せない!キー!!」となってしまうことってあるんです。いうことで、本日の愛のトリセツはじめます。
「許せない」その度合いは関係なくて
そもそも「なぜそんなに許せないのか」と言えば、自分にとっての「禁」を彼が冒してしまったというところなのかもしれません。
ある相談サイトで見かけたご夫婦の妻が夫を許せなくなったのは、こんな事情でした。
職場結婚した、現在ともにアラフィフの私たち。ある日夫の同窓会がありました。その同窓会は夫の元カノが来てもおかしくないもの。夫は「元カノは来ていないよ」と言っていたけれど・・・
この妻は、その後夫のスマホを見てしまいます。
夫の同級生だけのLINEグループ、そこには元カノの名前や同級生同士のやり取り。夫の話とは逆に、実際は「元カノが同窓会に来ていた」ことを知ります。
スマホを見た自分が悪いんだ。
そう思いながらも「元カノは来ていない」と言っていた夫のことが許せない。
妻は胸が苦しくなり、どうにも腹の虫がおさまらず、夫に問いただすという行動に出てしまいます。
でも夫は「知らなかった」「LINEのやり取りも見ていなかった」と言います。
そして、たまたま見てしまったLINEグループには、夫が家族写真の載った年賀状を送信していたことも発覚。住所や私と子どもの顔も出ている年賀状の画像が送られていて。そのことにも無性に腹が立って夫にぶつけてしまいます。
夫は家族をみんなに自慢したかったこと、元カノのことは気にしていないこと、年賀状の画像だって見ていないだろうと言うけれど・・・。
こんなふうに、傍から見てどんなに「それくらいのこと」と思えても、当事者にとっては切実なことなのです。でも、どうしてこんなに自分を追い込んでしまうほど許せない感情に囚われてしまうのでしょう。
本当に許せていないもの
それは、ほかでもない「自分」なんです。
こんなことで夫が呆れるほど怒りまくるのだって、本当はしたくない。
もっと堂々と、笑ってやり過ごせる自分でありたい。
小さなことに拘らず、穏やかに過ごしたい。
でも、そんなふうに思ってしまう裏側には、そうなってしまう理由があるのです。
この女性は、わかっていました。
なぜなら
自分なら気になっている人の妻や子どもなら、拡大して顔を見るだろうと。
もともと、この女性は「元カノの影」を気にしながら結婚生活を送っていました。そのことは彼女のご主人もわかっていたはずなのに、なぜ?と彼女は嘆くのです。
ただ、このご主人は妻が思うほど「元カノ」を引きずっているわけでも、今も好きでいるわけでもありません。愛する妻や子どもだからこそ、みんなに自慢したくて年賀状画像を同級生のLINEグループにアップしたのだし、元カノが同窓会に来るから同窓会に参加するわけでもありません。その存在すらもう気にならないレベル。まさに元カノではなくて単なる同級生レベルの感情しかないのです。
ところが、妻は気持ちが消化しません。存在しない亡霊に縛られているかのようです。
- 今も彼は元カノをどこか想っているんじゃないかな
- 同窓会で「やっぱり元カノが好き」ってなっちゃったらどうしよう
- 私は元カノに負けるかもしれない
- 私なんてキレイでも可愛くもない
などなど、自信のなさが頭をもたげて、その結果、大切な人にその悲しみや失うかもしれない恐怖をぶつけてしまうのです。自信がないからこそ、こんな気持ちになってしまうのは仕方がないといえばそれまでですが、これでは旦那さんからの愛を受け取れないばかりでなく、どんどん卑屈になって、しなくてもいいスマホの覗き見をしたりして、自分でもうんざりするほどイヤな女になってしまうことでしょう。
信じることと疑うこと
これはどちらも、ときに「愛」のうえに成り立つもののように思えます。
愛しているから信じてる
愛してるから疑ってしまう
一見、辻褄が合うようなセリフですが、愛しているから信じるというのも、愛しているから疑ってしまうというのも、ちょっと濁りがかっているように感じます。
愛している人は、敢えて相手を「信じている」と言うまでもなく、信頼しているのです。バカみたいに疑うことを知りません。当然のように信じているので「信じてる」なんて言葉すら出てこない。
空気が当たり前のようにあれば、「空気がある」なんて言いませんよね。家の中、どこにでも空気が満ちていますから。
同じように、信頼が当たり前であれば、「信じてる」なんて言わないのです。家の中、どこにでも信頼関係で満ちていますから。
また、愛してるから疑ってしまう、というのは「見捨てられ不安」から来るものが多く、「愛はやがて消えるもの」「私は愛される存在ではない」とどこかで確証を持ってしまっている可能性があります。
あなたが彼を選んで一緒にいること
彼があなたを選んで一緒にいること
これは奇跡的な出会いだったかもしれないけれど、今一緒にいて愛の循環が起きている毎日はもうふたりには「当たり前の事実」なのです。誰にも入るスキのない。
でも、疑いの気持ちを持って暮らす家庭には、誰かが入り込むスキだらけ。で、このスキを作っているのは疑っているあなた自身であるということに、いち早く気づいてください。
愛されている確信が持てなくなると、人間不安になると言いますが、いつもお話ししている通り、誰かが愛してくれるかどうかより、いかにダメな自分をダメであっても自分が愛しているかどうか、です。
自分で自分を愛せていない人は、誰かから愛されることを信じることができません。まずは自分を愛しましょう。自信がなくてもいいから、ダメな自分を愛しましょう。ダメだからこそ愛しましょう。
stand.fm音声配信|好きだけど許せないことがあるとき
stand fmにてラジオパーソナリティとして、音声でも配信しています
では改めて、今日のメッセージ
好きだけど許せないことがあるとき
自信喪失で夫婦仲や恋人関係が破綻してしまうなんて悲しい出来事になる前に、あなたの自分への愛が満ちているか確認してみてください。もし不安をお抱えでしたら、一度お話をお聞かせくださいね。