この人でつまずいた私、もう人生おしまいかも
あんなに大好きで、愛していて。もうこれ以上の恋なんてこの先ないだろうなって思っていた彼と終わってしまった。最悪だ。私の人生「つんだ!」どころじゃない。
もくじ
この人でつまずいた私、もう人生おしまいかも
正しい恋愛の悩み方:愛のトリセツ、この先の人生に希望が持てなくなっちゃっているあなたへメッセージです。
本気だった。
最後の恋だった。
真剣だった。
もう二度とあんな想いにはならないと思った。
そのくらいの情熱でひとりの人を愛し抜いたら、この先はもうないだろうって思ってしまうのは無理もないことなのかもしれません。ですが、それはその恋に疲れているだけ。
それだけの情熱があった人なら、そこで終わりということはありません。ということは当然、人生がおしまいということもないのです。
それでも、もうおしまいかもなぁって思っている人にとってはツラい状態なのは事実ですよね。ということで、本日の愛のトリセツはじめます。
もうおしまい、その言葉に潜む本心
失恋したら確かにツラい。
離婚したなら確かにしんどい。
自分の人生で起きた大きなつまずき。
もう立ち上がれない。
もうおしまい。
そんなふうに感じている人の本心は「疲れてしまった」です。疲れているときって、何も考えられない・・・というか、何も考えたくないですよね。
そんなときに無理に立ち上がろうとしたり、歩き出そうとしなくていいのです。というか、無理なことをしても歩き出せません。動けません。
それを無理して動き出そうとすると、その結果、口をついて出てくるのが「もう、おしまいだ」です。
本当はおしまいなんかじゃありません。
だけど、おしまいにしたくなるほど、疲れているだけなんです、本当は。
それと「おしまい」だと思ってしまった方が、ラクだったりするのです。
ただ、おしまいだと思っても、全然ラクになんかなりません。だって、おしまいじゃないんだもの。おしまいにしたくないのに、おしまいだと思って閉じようとするから、疲れが取れず動けないままになってしまうんです。
おしまいだ、と思うくらいなら
「私はいま、疲れている」と宣言しちゃいましょう。
傷ついたとき、アレを忘れていませんか?
おしまいだと思うようなことがあるとき、きっと心も同時に傷ついていることでしょう。
いえ、心が激しく傷ついたから、おしまいだと感じたとも言えるのでしょう。
でもね、本当にそこで終わるなら、人生はアレにまみれてしまうんです。
それは、
執着と未練
後悔にまみれた人生
です。
おしまいだと思うくらいなら、疲れていると言ってしまおう、と言いました。
疲れているというのは、言い得て妙なのですが。
そこに執着はありません。
未練もありません。
後悔にまみれた人生にもなりません。
ちょっと疲れてしまったのなら、何をすべきか。
もうきっと、あなたにもわかっていることでしょう。
つまずいたときの立ち上がり方
ただつまずいただけなら、何かにつかまって立ち上がることもできますが、疲れているときに何かにつかまって立ち上がったとしても、歩き出す気力までついてきていないので、すぐによろけてしまいます。
寝不足の朝、何かにつかまったって、またよろよろとベッドに転がってしまうでしょう?
そう。
疲れているというのは、つまずいたというよりも、もう床に突っ伏したまま起き上がりたくないという状況に似ています。
ということは、何をすべきか。
「やすむ」
ということです。
人によって、休み方はいろいろありますよね。
そう、お休みの日の過ごし方です。
ドライブに行くという人もいれば、好きなことをやるという人もいるでしょう。
美味しいものを食べにいくとか、友だちとくだらない話で大笑いするという人もいますよね。
でも、それって「動ける体力・気力」があることが前提です。
それすらないというときのお休みの日の過ごし方は?
そう。
ひたすら寝る。
ひたすらダラダラする。
極力動かずにぼーっとする。
などなど、ごくごく省エネな動きで過ごすということ。
そんなことしたら廃人になってしまうかも?
って思われます?
大丈夫ですよ。
普段、ぐーたらタイムを自分に与えていない人が思いやすいことなんです「おしまいかも」という決断。
だから、ひたすらやすんで、寝たいだけ寝ます。そしたらどうなるか。
飽きるんですよ、動かないでいることに。
動きというのは、自然に生まれますから、そのタイミングを待ちましょう。
のりぴ塾生にも、大きな失恋で苦しんだ人が何人もご相談にいらっしゃいました。お別れのセッションで、それこそ血を吐くくらいの想いを吐露して、涙も鼻水も枯れるほど心情を吐き出して、立ち直っていかれる方、たくさんいらっしゃいます。だけど、起き上がれないほどの状況の方には、まずは自分なりのおやすみを見つけてもらうことをおすすめしています。
自分のことを知り過ぎている友だちには話せないことも、なんのしがらみもない私になら洗いざらい話すことができて、肩の荷が下りたとおっしゃる方も大勢いらっしゃいます。そう、肩の荷がおりることでやっと、やすむことの大切さを実感されて、少しずつ「おしまいだ」の状況から抜け出していかれます。→ お客さまの声
stand.fm音声配信|この人でつまずいた私、もう人生おしまいかも
stand fmにてラジオパーソナリティとして、音声でも配信しています
では改めて、今日のメッセージ
この人でつまずいた私、もう人生おしまいかも
おしまい!と決めつけてしまう前に、自分をゆるめる時間を持ちましょう。無理に立ち上がろうとしないこと。徹底的に自分をやすませること。苦しみに打ちひしがれている人は、自分に休ませる許可を与えられない人が多いです、もしあなたがそうなら、一度お話をお聞かせくださいね。