人に認めてほしいという人がやっていない最も大切なこと
私の頑張りを、私の努力を、どうして人は理解してくれないのだろう。そりゃアノ人に比べれば私なんてまだまだだけどさ、でもちょっとは褒めてくれたり、認めてくれてもいいのにな。
もくじ
人に認めてほしいという人がやっていない最も大切なこと
正しい恋愛の悩み方:愛のトリセツ、自分じゃ頑張ってるのに周りが全然認めてくれなくてツラいというあなたへメッセージです。
私こんなに頑張っているのに・・・と感じる場面って、ものすごくあると思うんです。仕事でもプライベートでも。
縁の下の力持ち的な仕事・業務って、そういうふうに感じること多いんじゃないでしょうか。
家庭で言えばお母さんのしていることなんて、その第一候補に挙げられると思います。
毎日の食事でさえ、もしかしたら家族は、勝手にメニューが決まって、勝手に材料が揃って、勝手に刻んで、勝手にお皿に並べて、勝手にお皿が洗われて、勝手にお皿がしまわれて・・・って思っているかもしれません。
それ以外にも、勝手にゴミが捨てられて、勝手にトイレがキレイになって、勝手にお風呂場がピカピカになって、勝手に洗濯物がキレイになって畳まれている・・・なんて思っているかもしれません。
こういうのって、普段やっている人が(多くは奥さまですが旦那さんの場合ももちろんありますよね)病に伏したりすると、そのありがたみを痛感されますが、こういうことをテキパキやっている人ってあまり病に倒れることもないんですよね。
そうすると家人がそれに気づくチャンスって殆どありません。
職場でも、こまめに社内をキレイに保つ意識を持っている人は損な役回りになりやすいのですが、これは見ている人はしっかり見ていますので、そのままでいきましょう。
で、そういうことを自然にやっていて特に何も望んでいない場合は無問題なのですが、ちょっと厄介になってくるのが「人に認めてほしい」と思っている人が、それを目的にそういうことをしている場合です。
奥さまだったとしても「家族に認めてほしい」と感じながら家事をこなしているのだとしたら、それ相当虚しさが胸に溢れてしまうと思うんですね。なんたって「認めてほしい」わけですから。なんにも気づかない家族であれば「自分ってなんだろう?」「私のやってること気づいてる?」となりやすいですよね。
職場でも「私ばっかりキレイにしようとしてる」「私のやっていること誰も気づかない」「私は評価されないんだ」と悲しくなって、本業に身が入らなくなってしまうかもしれません。ということで、本日の愛のトリセツはじめます。
なぜこんなに認めてほしくなるのだろう?
そもそも人に認めてほしいと願ってやまない人は、どうしてこんなにも「他人に認めてもらう」ということに執着してしまうのでしょうか。
それはひとえに、一番認めてほしかった人に認めてもらえなかったと感じているからなんです。
でも、一番認めてほしかった人って?って思う人もいらっしゃるでしょう。あなたはいかがでしょうか。一番認めてほしい人って誰でしょう。
その前に「認めてもらう」ということについて、少し掘り下げてみたいのですが、大人になって仕事に就いて日々を過ごしていたり、結婚して家事や育児に奔走したり、そんな毎日のなかでふと「私ってなんだろう?」なんて感じることってありませんか。
それがまず「認めてほしい」の第一歩になるかもしれません。
- こんなに頑張っているのに、誰も褒めてくれない
- こんなに自分の時間を割いて家族のために尽くしているのに、誰も感謝してくれない
そういうとき「私っていったい何?」「私は何をしているの?」「こんなことしていても誰も何とも思ってくれない」などと感じて、空しさを覚える・・・
これが「人に認めてもらいたいと願ってやまない人」の心の中にあるものではないでしょうか。
そしてこれ、大人になってから芽生えた感情に思われるかもしれませんが、実はもっとずっと昔のことがきっかけとなっているんです。
そう、あなたが幼い頃のこと。
お母さんやお父さんは、あなたが何も出来ない赤ちゃんの頃、どうだったでしょう。
きっと少しのことが出来ただけで・・・
例えばこんなこと
寝返りがうてただけで
ちょっとハイハイしただけで
「マー」と一言喋っただけで
興奮して「天才だ!」「スポーツ万能になる!」なんて歓喜してくれていました、たぶん。
ですが、成長するにつれ様相が変わって行きます。
- ぼーっとしていると怒られる
- 頑張っていないと価値がないかのように叱られる
- 表彰されたり成績の良い時だけ褒めてくれる
- 頑張らないでいると「情けない」「ダメ人間だ」のように罵られる
そういった記憶のあるなしに関わらず、心の奥で「私は頑張らないといけない」「頑張っていない私は価値がない」「頑張って認めてもらわなければ」と、本当はがんばりたくないし、ぼーっとしていたいし、好きなことを自由にしていたかったのにそれらを封印して過ごしてきたのかもしれません。
実際、私のところにいらっしゃるご相談者さまで「人に認めてほしい」という気持ちが根深い人は、表面的には「人に認めてほしい」という欲求には気づいていません。
どちらかというと、職場では大人しく目立たないほうで、でも、ものすごく責任感があって頑張り屋さん。人の仕事の手伝いも率先する。ただ、そうなるとやっぱり自分の業務が滞ってしまいますので残業が増えるんですね。
残業が増えれば疲労度が増し、効率が悪くなっていくので虚しくなっていくのです。
- こんなに頑張っているのに誰も私を助けてくれない
- 私のガンバリは誰も見ていてくれないんだ
- 私はこんなに周りのことを気配りしているのに・・・
と、段々周りのぬぼーっとした雰囲気に苛立ちや腹立たしさをも感じ始めてしまったりするのです。そしてなんと、そういった感情を持つ自分に対して罪悪感も抱いているので、苦しみのループがなかなか断ち切れないのです。
他人頼みの人の不運
他人頼みの、というのは、認めてほしいということを「自分」ではなく「他人」に依存することを指します。
人に認めてほしいという気持ちが強い人は、自分で自分をまず認めることが出来ずにいるのですが、自分で自分を認めることが出来る・・・というか、自分で自分の現状を受け容れることが出来る人というものは、あまり他人の評価を執拗に気にすることがないのです。
人の評価が大事という人は、自分のありのままを受け容れることが出来ない・・・つまり、自分が自分を認めていないので、結局のところ自分への評価はあまりよくないんですね。
自分への評価を自分でバツをつけているので、他人からの評価に対してもビクビクしている傾向があります。
自信がないというよりは、自分の存在価値を自分で下げているという、いわゆる自己肯定感が失われつつある状態なので、ちょっと誰かに指摘されたりするだけでも「私ってダメな人間なんだ」「私はここにいる価値すらない」などと極端な思考に走りやすいのです。
くよくよしやすくて、いつまでも失敗を引きずりやすいので、過去に生きているとも言えるかもしれません。
何を隠そう私自身、10代~20代にかけてそんな傾向がありました。あまりに気にしい過ぎて、くよくよした毎日に自分で辟易していたものです。その頃どうやって対処していたかというと、別のことにとにかく集中するという考えてみれば「逃げ」とも言えることをしていました。
でも、あれを「逃げ」と感じる必要はなかったんじゃないか・・・あれは逃げではなくて、自分を守って立て直す真っ当な手段だったんじゃないか、と今は思います。
とかく、自分責めの強い人は立ち直るのにも時間がかかる。
だからこそ、切り替えが大事です。
でも、根本の根本は、人に認めてもらいたいという気持ちを少しでも下げる方が、人生は幸福度が高いと思います。
人に認めてもらうという考え方を、自分が自分を認めるという考え方にシフトするのです。そして、考え方をシフトするためには、感じ方をシフトする必要があります。
自分の価値観を磨こう
小さい頃に掴んでしまったある思い込み。
それは「頑張らなければ価値がない」「がんばっていない自分はダメ」という自分を縛りつける思考・信念でした。
私のセッションでは、これを心の底からクルっと変換するように、こんなふうにシフトしていきます。
「頑張らない自分だとしても価値がある」
「頑張っていようと頑張っていなかろうと自分は存在価値がある」
「ぼーっとしていてもシャキシャキしていても私は私であって、私の価値にはなんら影響はない」
「頑張ってもゆるゆるしていても大丈夫」
っていうふうに。
これらは頭でどんなに「そうしよう」としても出来るものではないんです。無理に頭でそうしようとすると、今度は罪悪感に苛まれてしまうんです。罪悪感なく、心から「これがいい」「これでOK」と思えるようになるので、「何にそんなに苦労していたんだっけ?」「何にそんなに悩んでいたんだっけ?」というご相談者さまもいらっしゃるくらいです(笑)。
人に認めてほしい!と心から願っている人がやっていない最も大切なこと、それは自分で自分をまるまま受け容れることができていないということ。そのままの自分を、他でもないあなた自身が認めていない、ということです。
ここが出来るようになると、他人の評価を死ぬほど気にする自分から卒業することができるんです。
stand.fm音声配信|人に認めてほしいという人がやっていない最も大切なこと
stand fmにてラジオパーソナリティとして、音声でも配信しています
では改めて、今日のメッセージ
人に認めてほしいという人がやっていない最も大切なこと
他者目線、他人の目、人の視線で自分の生き方をくるくる変えざるを得ない状況にどっぷりハマってしまっている・・・というあなたはご相談ください。