人にこう思われているという呪縛が苦しいあなたへ

思いやりはお付き合いするなかでとっても大切なこと。心のふれあいにも欠かせません。ただ、お節介や余計なお世話は逆に距離をつくってしまうことも。

人にこう思われているという呪縛が苦しいあなたへ

正しい恋愛の悩み方:愛のトリセツ、思いやりとお節介を取り違えているかもしれないあなたへメッセージです。

 

愛情の深さからくる思いやりって、人との関係性のなかではその距離が縮まるためにもキーポイントとなります。

 

なぜなら、そういう思いやりや愛情深さがあれば、何よりあたたかい気持ちになれますし、お互いの心が触れ合う感じがしますから、絆がグッと深まっていくきっかけにもなります。

 

それに、実際のところそういう部分なくしては、人間関係の構築って難しいところもあります。

 

とはいえ、やっぱりここ気をつけなければならないこともあって。

 

行き過ぎてしまうと逆効果になってしまいます。

 

そうなると、うまくいくどころか却ってギクシャクしてしまって「あれ?おかしいな」と思っているうちに自信もなくなっていき…。

 

なんだか気づけば、人の評価や意見に振り回されてしまうなんてことになってしまうこともあります。

 

そうしてそれが「人にどう思われているのか?」や「人にこんなふうに思われているんじゃないか」みたいな呪縛となって、あなた自身を縛り付けてしまうなんてことにもなりかねません。

 

ということで、今日も3つに分けてお伝えする愛のトリセツ、はじめます。

自分で決めたい、その心

人に過度のお世話をしてしまうことを、いわゆる「お節介」とか「余計なことをしてしまう」みたいに言うことがありますが、そもそもどうしてよかれと思ってしたはずのことが、そんな結果になってしまうのかというと…。

 

人って「人に決められるのがイヤ」だし、自分以外の誰かに「自分のことをわかったふうにされるのがイヤ」なことがよくあるのです。

 

思いやりのように愛情が深いからこそ届けたい想いや気持ちと、このお節介や余計なお世話というものは、ある種紙一重なところがあるのです。

 

とはいえ、「その違いを一言で述べよ」と言われても、それを完結に述べられる人ってなかなかいないかもしれません。

 

ただ、恋愛こじらせ女子や夫婦関係がうまくいかないと言っている人たちのなかには、こういことをやってしまっていることがものすごく多いのも事実です。

 

具体的にそれは何かと言うと、相手のぶんまで面倒みてしまう、ということです。

 

面倒見ること自体は悪いことではないのですが、「余計な部分まで面倒見てしまう」というところが問題になっています。

 

それは次のようなことです。

まずは自分のぶんだけ

余計な部分まで面倒みてしまっているとは、いったいどういうことなのか、もう少し掘り下げてお伝えしますね。

 

それはこういうことです。

 

  • 本来相手が考えること
  • 本来相手が感じること
  • 本来相手が決めること
  • 本来相手が言語化すること

 

こういう部分を、あなたが面倒みてしまうということです。

 

仮に、演劇で例えてみれば、単なるひとりの登場人物なのに、その劇に登場するキャラクター全員のセリフを無駄にあれこれ考えてしまうみたいな感じ。

 

これをしてしまうと、自分のセリフに集中できませんから、自分が成すべきことが完成しません。

 

つまり、覚えなければならない自分のセリフさえ覚えきれていないのに、他の登場人物のセリフまで思いあぐねているみたいな感じです。

 

これをしてしまっていると何が問題になって来るかと言うと。

 

自分の言いたいことは伝わらない

相手の言いたいことは汲み取れない

結果としてコミュニケーションがズタボロになってしまいます。

 

実はこういうことって、恋愛や結婚ばかりではなく、親子関係でもあるあるなことなのです。

 

お子さんの言いたいことを、お母さんが代わりに言ってしまうなんてこと、ありませんか?

または、そういった場面に遭遇したことはありませんか?

 

例えばよそのお子さんに話しかけたとき

 

私「坊や、いくつ?」

坊や「(もじもじ…)」

坊やのママ「4歳でしょ。あ、もうすぐ・・来月5歳になるんですよ。はっきり言えなくてねぇ」

 

って、母さんが答えてしまうから、坊やの出番がなくなってしまいます。

 

小児科でもあるあるなんですよ。

 

医師「どこが痛いのかな?」

坊や「あの(もじもじ…)えっと(もじもじ…)」

坊やのママ「お腹が痛いみたいなんです。右の下のほう」

 

実はこれ、私の母もそんな感じの先回り思考の母親だったので、一回医者に注意されたことあるんですよ。

 

医師「お母さん、私はお嬢ちゃんに聞いているんですよ」って。

 

私はそのお医者さんの言葉で「私が話してもいいんだ」なんて思ったくらいです(笑)。

 

なので、先の坊やのような場面を見かけると、つい心の中で坊やの母さんをディスってしまうことがあります。

 

いや、ディスるというか、こうやって「子どもが考えるチカラ」と「子どもが話すきっかけ」を、親は奪ってしまうんだよな、と。

 

そういうことをを跳ねのけてでも、自己主張できる子どもはいいけれど、大概の子どもって親の言い分を受け容れてしまうんじゃないかなぁ、って。

 

だって、子どもからすれば親は巨大だし、かなわない存在だし、見捨てられたら困る存在ですから。

 

結局のところ、なかなか反論できないものなのです。

彼はこう思っているハズ、のハズはハズレ

やがて、こういう「自分の意見や考えを言えるタイミングを失った子ども」も少しずつ成長して、なんとか自分の意見を言えるようになっていきます。

 

あ、言えないままのオトナもいますよ。

 

そんななかで、とりあえず言えるようになった人たちは、とはいえ、かなりビビりながら自分の意見を述べるようにはなるのですが、ここでちょっと厄介なことが起こることがあります。

 

幼い頃に素直に思ったままのことを口にすることを制限されてきたツケなのか、今度は自分以外の人に対して「こうだろうな」「ああだろうな」という無意味な想像や妄想が発動しやすくなってしまうのです。

 

そしてそれこそが、悩みの源。

そう苦悩の元となっています。

 

基本は、「ほっときなはれ!!!」なのですよ。

自分以外の人、つまり他人の脳内のことは。

 

どんなに思いあぐねても、それは厳密に言えば的外れになってしまう可能性大だからです。

 

「人にこう思われている」や「人にどう思われている」ということを突き詰めてしまいやすい人は、「きっと人はこう思っている」みたいに考えて自分を苦しめてしまうことが多いのです。

 

例えば「彼はこう思っている」や「夫はこう思っている」みたいなことで苦しみやすい人は、「『彼はこう思ってる』に違いないと私は思ってるんです」と予想を立てているのです。

 

でも、その予想をしているうちはけして幸せになれません。

 

その予測というか、その予想というか、その思いつきというか、それらの発端・発生源がそもそも「あなた自身」からなのだとしたら、そこから派生する内容も「あなた自身」でしかありません。

 

そこに「彼」や「夫」はいないのです。

 

とかく、そういったことで悩みやすい人は、こんなふうに妄想や空想を広げて、自ら苦悩の沼にはまっていってしまうのです。

 

あなたは大丈夫でしょうか?

stand.fm音声配信|人にこう思われているという呪縛が苦しいあなたへ

stand fmにてラジオパーソナリティとして、音声でも配信しています

では改めて、今日のメッセージ

人にこう思われているという呪縛が苦しいあなたへ

いやいや私はヤバイかも!というあなたは一度お話をお聞かせくださいね。もう人の脳内を面倒見ることはやめにして、自分のことに集中していきましょう。


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